めるノート

一児の母 兼 へっぽこWebエンジニアの内省ノート

なぜ議論が途中からお気持ちの問題になってしまうのか考えている話

事実や根拠のある議論がしたかったり、仕組みで解決したいことがあるのに、最終的に気合が足りないからだ、みたいな思考停止っぽい結論になることがあるので、モヤッとしている。 ここ最近は違う相手で複数回あったので、ますます気になった。 ふたつ論点が浮かんだので雑に書く。ほかにも論点があったら誰か教えてほしい。

1. 「当たり前」がずれていて、暗黙の前提があるから

アンコンシャスバイアスや各種ギャップの認知と対策が必要。

ジェネレーションギャップ

  • 苦労をして時間をかけて学ぶべき←→知の高速道路でいかに効率的に学ぶか
  • ゆとり社員、若者社員へのアプローチ本を読むと良いのかもしれない
    • なぜ変えた方がいいと思うのか言語化できそうだから
    • どうも、ゆとりです

ジェンダーギャップ

「息子のトリセツ」には以下の2つが書いてあった。

  • 女性は恐怖を感じやすいので、これヤバい!の基準が男性と異なる(まあわかる)
    • なので自分は、思ったほどヤバくないよって思うようにしている
  • 男性は小さなゴールがたくさんあるより、大きなゴールのほうがやる気が出やすいらしい(ほんとうか?)
    • なので自分は、現実的でないゴールを見ても反射的に否定しないようにしている

バイアスやギャップは他にもあるので勉強する。 ほかに暗黙の前提で思いつくのは、期待値のズレとか?

2. 意見への批判ではなく、自分自身そのものを否定されている気がして批判を認めたくない

自分がそのつもりがなくてもそうなっているかも

あなたを否定しているんじゃなくて、あくまでもissueとしてみているんだよっていうのを明確に伝えてもいいかも

相手にその自覚がなくてもそうなっているかも

自覚していない相手に「もしかして否定されたと思ってますか?」と聞くのは地雷な気がする。自分がそう思ったら、むしろ聞いて励ましてほしいけど、いろんな人がいるだろうな

1. の「当たり前」問題に関連して、世代間ギャップとかだと、人生っぽい概念なので自分自身への否定に近くなるのかもしれない

苦労をして時間をかけて学ぶべき←→知の高速道路でいかに効率的に学ぶか
たとえば時間をかけて練習しても方法が良くないとイマイチだったのを自分は体感しているからそう思えるけど、それをうまく言語化して伝えるのってムズい

心当たり

c5meru.hatenablog.jp

パッと見は強そうな人でも、ほめてほしいとか、良いフィードバックがほしいとか、雑なコミュニケーションがしたいとか、あるかもしれない。

大丈夫そうに見えたり、そういう配慮はいらないって自分では言ってる人でも、無意識に・反射的にそうなっているパターンがあるのかもしれない。

否定されたと思ってしまったときのリアクションは人によって異なる

  • 自分は落ち込んで泣くタイプ
    • なので、しょんぼりを察知したらフォローは多少できる
  • 怒るタイプの人もいるかもしれない
    • 自分とは異なるので、なぜ怒っているのかわからなくてビックリしてしまう
      • でも自分の周囲はこちらが多いのかもしれない
    • 相手の言葉だけを見ると、求めているのは否定に対するフォローじゃなくて、気合やお気持ち
      • そしてだいたいそのとおりにしてもイマイチ、どうすればいいんだろう

この文章に足りないなあと思うところ

  • お気持ち論になってしまう原因はここに書いたこと以外にもあると思う
    • 凝り固まってしまったので他に出てこなかった
  • 否定されたと感じたときに、怒るタイプの人についての深堀りがもっとあると個人的には良さそう
    • 心理学的な手法がありそうなので別途勉強中

まとめ

ポジティブに考えると、前はお気持ちにしてしまう側でしか考えていなかったんだけど、逆の立場で考えられるようになったのは成長できたのかなあ、と思う。